季節は、暦どおりに進んでいるはずなのに。
体の感覚だけが、少し置いていかれているように感じることがあります。
もう春なのに、まだ寒い。
夏のはずなのに、体が重たい。
秋だと言われても、なんだかピンとこない。
「季節の変わり目だから仕方ない」
そう言われることは多いけれど、
その一言では片づけられない違和感を抱えている人も、きっと少なくありません。
アーユルヴェーダでは、季節をカレンダーだけで判断しません。
月や日付よりも、風の強さ、湿気、熱、重さ、軽さといった、
そのとき身体が実際に受け取っている感覚を大切にします。
同じ春でも、感じ方は人それぞれ。
同じ夏でも、楽な年とつらい年がある。
それは、あなたの感覚が鈍いからでも、弱いからでもありません。
体は、もう次の季節を感じ取っているのに、
頭だけが暦に追いつこうとしている。
そのズレが、違和感として現れているだけなのです。
今回は、アーユルヴェーダならではの
「体感で季節を見る」という考え方を通して、
季節との付き合い方を、少しやわらかく見直してみたいと思います。
🌬️ アーユルヴェーダにとっての「季節」とは
私たちはふだん、季節をカレンダーで判断しています。
三月になったら春、六月になったら夏。
暦の区切りは、生活を整えるうえでとても便利なものです。
けれどアーユルヴェーダでは、
季節を日付や月だけで決めることはしません。
大切にされるのは、
今、身体がどんな影響を受けているかという感覚です。
たとえば、
風が強い日が続いていないか。
湿気がこもって、身体が重くなっていないか。
暑さで消耗していないか、冷えで緊張していないか。
アーユルヴェーダの季節感は、
「春だからこう」「夏だからこう」と一律に決めるものではなく、
風・熱・湿気・重さ・軽さといった要素を、
その時々の体感として受け取っていく考え方です。
同じ春でも、乾いた風が強い年もあれば、
雨が多く、湿り気の強い年もあります。
同じ夏でも、耐えられる年と、消耗しきってしまう年がある。
それは気のせいではなく、
その年ごとの環境と、今の自分の状態が重なって生まれるもの。
アーユルヴェーダでは、
まず暦を見る前に、身体の声を聞くことから季節を捉えます。
とはいえ、アーユルヴェーダにも、
まったく目安がないわけではありません。
リトゥチャリヤ(Ritucharya)と呼ばれる、
季節ごとの過ごし方を考える枠組みがあります。
これは「この季節は必ずこうする」という規則ではなく、
季節ごとに、どの性質が影響を受けやすいかを知るための目安です。
🌱 春(おおよそ2〜5月)
冬のあいだに蓄えられていた重さや湿り気が、
気温の上昇とともに動き出す季節です。
アーユルヴェーダでは、カパの性質が表に出やすい時期とされ、
だるさや眠気、身体の重さとして感じられることがあります。
☀️ 夏(おおよそ6〜8月)
日差しと気温が高まり、
身体が熱や刺激の影響を受けやすくなる季節です。
この時期は、ピッタの性質が影響を受けやすいと考えられ、
消耗感や、疲れやすさとして現れることもあります。
🍂 秋(おおよそ9〜11月)
暑さが落ち着き、乾燥や気温差が目立ち始める季節。
アーユルヴェーダでは、ヴァータの性質が動きやすい時期とされ、
落ち着かなさや不安定さを感じる人もいます。
☃️ 冬(おおよそ12〜2月)
寒さと重さが増し、
エネルギーを内側に溜め込みやすい季節です。
この時期は、再びカパの性質が強まりやすく、
休息を求める感覚が自然に高まります。
ただし、これらはあくまで季節側の傾向。
実際には、その年の気候や湿度、
生活リズムや体調によって、感じ方は大きく変わります。
アーユルヴェーダでは、
「今は何月だからこの季節」と決める前に、
今、どの性質が強く現れているかを見ることを大切にします。
🫧 暦より先に、体はもう季節を感じている
「もう◯月だから」「そろそろこの季節だから」
私たちは、つい暦を基準に体調や気分を判断しがちです。
けれど実際には、
身体はカレンダーよりもずっと早く、
季節の変化を感じ取っています。
急に眠くなったり、
食欲が落ちたり、
いつもより体が重く感じたり。
それは怠けているからでも、
体力が足りないからでもありません。
湿度が上がった、
風の質が変わった、
日差しの強さが変化した。
そうした小さな環境の変化を、
身体が先に受け取っているだけなのです。
アーユルヴェーダでは、
こうした変化を「不調の前触れ」としてではなく、
季節が動いているサインとして捉えます。
頭ではまだ「春」や「夏」だと思っていても、
身体はすでに次の季節の影響を受け始めている。
そのズレが、違和感として表に出てくることがあります。
だからアーユルヴェーダでは、
暦に合わせて無理に切り替えようとするよりも、
今の体が何を感じているかを先に確かめます。
季節に遅れているわけでも、
うまく順応できていないわけでもない。
ただ、体はちゃんと先を読んでいるだけなのです。
🌫️ 同じ季節でも、つらい年と平気な年がある理由
毎年同じ季節が巡ってくるはずなのに、
「今年はなんだかきつい」と感じることがあります。
去年の夏は平気だったのに、
今年の夏はやけに疲れやすい。
同じ春でも、ある年は軽やかで、
ある年は身体が重たく感じる。
それは気分の問題でも、
年齢のせいでもありません。
アーユルヴェーダでは、
季節の影響は毎年同じ形でやってくるわけではないと考えます。
その年ごとの気候の違い。
湿度が高いのか、乾燥しているのか。
暑さが長引いているのか、急に冷え込んだのか。
そこに、
今の生活リズムや、
これまでの疲れの積み重なり、
心身の余裕の有無が重なります。
同じ「夏」や「春」という名前でも、
身体が受け取っている条件は、
毎年少しずつ違っているのです。
だからアーユルヴェーダでは、
「去年は大丈夫だったから今年も平気」
「例年どおりに過ごせばいい」
とは考えません。
その年、その季節、その時点の自分。
毎回あらためて様子を見ることが、
季節と無理なく付き合うための基本になります。
🌓 暦どおりに動けないときの、アーユルヴェーダの考え方
「もうこの季節なのに、気分がついてこない」
「例年どおりに過ごせない自分が、少し情けない」
そんなふうに感じることがあるかもしれません。
暦はきちんと進んでいるのに、
身体や心の調子だけが、
その速度に追いついていないように感じる。
けれどアーユルヴェーダでは、
暦どおりに動けない状態そのものを、問題だとは考えません。
季節は直線的に切り替わるものではなく、
少し戻ったり、行きつ戻りつしながら、
ゆっくり移ろっていくもの。
その揺らぎの中で、
体調や感覚が安定しない時期があるのは、
とても自然なことです。
アーユルヴェーダが勧めるのは、
「季節に合わせて自分を動かす」ことよりも、
今の自分の状態に、季節のほうを当て直すという視点。
元気が出ないなら、無理に活動的にならなくていい。
重たさを感じるなら、軽くしようと焦らなくていい。
まずは、その感覚があることを受け取る。
暦に遅れているのではなく、
今は調整の途中にいるだけ。
そう考えることで、
季節との距離感は、少しやわらかくなっていきます。
🍃 季節に「合わせる」より、聞き取るということ
季節の変わり目になると、
「そろそろ切り替えなきゃ」
「この時期は、こう過ごすべき」
そんな言葉を目にすることが増えます。
けれどアーユルヴェーダでは、
季節に自分を無理に合わせにいくことよりも、
今の自分が、何を感じているかを聞き取ることを大切にします。
暑いのか、寒いのか。
重たいのか、乾いているのか。
落ち着かないのか、動きすぎているのか。
それは頭で判断するものではなく、
身体の反応や、日々の小さな違和感の中に、
静かに現れてきます。
「この季節だから〇〇しなきゃ」ではなく、
「今の自分は、これを求めている気がする」
その感覚を拾い上げていく。
アーユルヴェーダが示す季節との付き合い方は、
ルールに従うことではなく、
相性を探り直すことに近いのかもしれません。
昨日までは心地よかったことが、
今日は少し重たく感じる。
それなら、今日は別の選択をしてもいい。
季節に合わせるのではなく、
季節と対話するように過ごす。
その柔らかさが、アーユルヴェーダの季節感です。
こうして季節を聞き取りながら過ごしていくと、
アーユルヴェーダが大切にしている「サートミヤ(相性)」という考え方が、
季節との付き合い方にも、そのまま重なっていることに気づきます。
🫖 おわりに
季節について考えていると、
「ちゃんと切り替えられない自分」を責めてしまいそうになることがあります。
けれどアーユルヴェーダの季節感に触れるたびに、
無理に追いつかなくてもいいのだと、
少し肩の力が抜けるような気がします。
暦よりも先に、体はもう何かを感じ取っている。
それを置き去りにせず、
「そうなんだね」と一度受け取ってあげる。
季節に合わせるのではなく、
季節と相談しながら、その日の自分に合う過ごし方を選ぶ。
そのくらいの距離感が、ちょうどいいのかもしれません。
今日の風がどう感じるか。
今日の湿気は重たいか、軽いか。
そして、今日の自分はどんな状態か。
そんな小さな問いかけを重ねながら、
これからの季節も、無理なく付き合っていけたらと思います。
🌱その他のアーユルヴェーダの記事はこちら







コメント