雨季のインドで、いつもの歩みを少しゆるめ、自分の心や行いを静かに振り返る時間があります。
パリユーシャン(Paryushan)は、ジャイナ教で大切にされている宗教行事のひとつです。
神さまの誕生をにぎやかに祝ったり、街を華やかに飾ったりするお祭りとは少し違い、この期間に重ねられるのは、祈りや学び、断食などの節制、そして日々の行いを見つめ直すこと。
ジャイナ教で大切にされるアヒンサー(非暴力)も、ここではただ「命を傷つけない」という教えだけではありません。
自分の言葉や行動によって、知らないうちに誰かを傷つけていなかったか。
欲や執着に流されていなかったか。
そんなことを一つずつ振り返り、自分自身と向き合っていきます。
そしてパリユーシャンの終わりには、互いに赦しを求める大切な日が訪れます。
「もし私があなたを傷つけていたなら、どうか赦してください」
そんな思いを伝える文化が、今も宗教行事として受け継がれているのです。
この記事では、パリユーシャンとはどんな行事なのか、2026年の日程や8日間の過ごし方、最終日のサンヴァツァリ、そして赦しを求める言葉「ミッチャーミ・ドゥッカダム」まで、ジャイナ教の考え方とともにやさしくたどっていきます。
🙏 パリユーシャンってどんなお祭り?
パリユーシャン(Paryushan)は、ジャイナ教で一年の中でも特に大切にされている宗教行事のひとつです。
とくにシュヴェーターンバラ派では8日間にわたって行われ、祈りや学び、節制を重ねながら、自分自身の心や行いを見つめ直していきます。
インドのお祭りというと、色鮮やかな飾りや音楽、大勢の人が集まるにぎやかな風景を思い浮かべるかもしれません。
けれど、パリユーシャンで大切にされるのは、外へ向かって何かを盛大に祝うことではありません。
自分はこの一年をどう生きてきたのか。
誰かを傷つけなかったか。必要以上に何かを欲しがらなかったか。怒りや執着に心を動かされなかったか。
普段は通り過ぎてしまう自分自身の行動や感情を、いったん立ち止まって振り返る。パリユーシャンは、そんな時間として受け継がれてきました。
その背景にあるのが、ジャイナ教で大切にされているアヒンサー(非暴力)やアパリグラハ(無所有・執着を減らすこと)などの教えです。
これらは僧侶や尼僧だけが守る特別な考え方ではなく、在家の信者にとっても、日々の食事や言葉、行動を見直すための大切な指針になっています。
パリユーシャンの期間には、そうしたジャイナ教の教えに、いつも以上に意識を向けます。
そのため、断食だけを行う「断食のお祭り」というより、学び、節制し、振り返り、心を整えるための8日間と考えると、その雰囲気がつかみやすいかもしれません。
ジャイナ教そのものの考え方や、アヒンサーをはじめとする基本的な教えについては、こちらの記事でも紹介しています。
では、この静かな8日間は、毎年いつ訪れるのでしょうか。
次は、2026年のパリユーシャンの日程を見ていきます🗓️
🗓️ パリユーシャンはいつ?2026年の日付は?
パリユーシャンの日付は、西暦で毎年同じ日に決まっているわけではありません。
ジャイナ教の暦に基づいて行われるため、私たちが普段使っているカレンダー上では、年によって8月から9月ごろの異なる日にあたります。
2026年、シュヴェーターンバラ派のパリユーシャンは9月8日(火)から9月15日(火)までの8日間。
そして最終日の9月15日が「サンヴァツァリ(Samvatsari)」です。
サンヴァツァリは、パリユーシャンの中でも特に大切にされる日。
一年の自分の行いを振り返り、意図して、あるいは知らないうちに誰かを傷つけてしまったことについて赦しを求めます。
この「赦し」の意味については、後ほど詳しく見ていきます。
🌙 日付は宗派やコミュニティによって異なることも
パリユーシャンを調べていると、資料によって日付が少し違うことがあります。
これは、ジャイナ教の中にも異なる宗派や伝統があり、それぞれの暦や地域の慣習に基づいて行事が営まれているためです。
2026年についても、シュヴェーターンバラ派の多くでは9月8日から15日とされていますが、異なる日程を案内するコミュニティもあります。
そのため、実際に寺院やジャイナ教コミュニティの行事へ参加する場合は、その場所で案内されている日程を確認するのが確実です。
9月にはパリユーシャンのほかにも、クリシュナ・ジャンマシュタミやガネーシャ・チャトゥルティーなど、さまざまな宗教行事が重なります。
2026年9月のインドのお祭り全体はこちらの記事でまとめています。
ところで、パリユーシャンが行われるのは、インドが雨季を迎えている時期です。
実はこの季節と、ジャイナ教の修行者たちの暮らしには深いつながりがあります。
次は、なぜパリユーシャンが雨季に行われるのかを見ていきましょう🌧️
🌧️ なぜこの時期に行われるの?|雨季と「とどまる」時間
パリユーシャンが行われる8月から9月ごろ、インドの多くの地域は雨季の中にあります。
実は、この雨の季節とパリユーシャンには深いつながりがあります。
🐜 雨季には、小さな命が増える
ジャイナ教の僧侶や尼僧は、普段は一か所に定住せず、歩いて各地を巡りながら修行や説法を行う伝統があります。
ところが雨季になると、虫をはじめとする小さな生き物が増え、地面を歩いて移動することで、知らないうちに命を傷つけてしまう可能性も高くなります。
そこで雨季の間は長い移動を控え、僧侶や尼僧がひとつの場所にとどまります。
ここにも、できる限り生命を傷つけないというジャイナ教のアヒンサー(非暴力)の考え方が表れています。
🏡 移動をやめることで生まれる、学びの時間
僧侶や尼僧がひとつの地域にとどまると、そこに暮らす人々にとっても、教えを聞いたり、ともに祈ったりする機会が増えます。
外へ移動する時間が減るぶん、学びや瞑想、節制といった内面的な実践へ意識を向けやすくなるのです。
パリユーシャンが、にぎやかに外へ広がっていく祭りというより、立ち止まり、自分自身へ意識を戻していく期間になっている背景には、こうした雨季の暮らしがあります。
🙏 「とどまる」という名前にも表れるパリユーシャン
「Paryushana」という言葉には、ジャイナ教団体JAINAによれば、「とどまる」「集う」といった意味があります。
それは、雨季に僧侶や尼僧がひとつの場所へとどまることだけを表しているわけではありません。
外の世界へ向かって動き続けるのを少しやめて、自分の心や行いの近くへ戻ってくる。
そんな精神的な意味でも、パリユーシャンという名前はこの行事の性格とよく重なっています。
雨で足を止めることが、命を傷つけないための配慮となり、その時間が祈りや学び、自分を見つめる機会へ変わっていく。
「動かないこと」が、そのままひとつの実践になる。
そんな背景を知ると、パリユーシャンの静かな8日間が少し見えやすくなります。
では実際に、この8日間を人々はどのように過ごすのでしょうか。
次は、祈りや断食、プラティクラマンなど、パリユーシャンで行われる代表的な実践を見ていきます🧘
🧘 パリユーシャンの8日間には何をするの?
パリユーシャンの8日間には、何かひとつの決まった儀式だけを続けるわけではありません。
祈りや瞑想、宗教的な学び、断食などの節制を通して、普段よりも意識して自分自身と向き合います。
実践の内容や厳しさは人によって異なりますが、どれにも共通しているのは、日常の流れから少し離れ、自分の心や行いを見つめ直すことです。
🙏 祈りや瞑想の時間を持つ
パリユーシャンの期間には、寺院や集会の場を訪れたり、家庭で祈ったりしながら、普段よりも宗教的な実践に時間を使います。
静かに座り、心を落ち着ける時間を持つことも、そのひとつです。
何かを願って神に祈るというより、自分の心の動きを見つめ、怒りや欲、執着などから距離を取ろうとする時間として大切にされています。
🔄 プラティクラマン|自分の行いを振り返る
パリユーシャンを知るうえで大切な実践のひとつが、プラティクラマン(Pratikraman)です。
プラティクラマンでは、自分の言葉や行動を振り返り、過ちを認め、悔い改めます。
誰かに強い言葉を向けなかったか。生き物を傷つけなかったか。自分の欲や怒りに流されなかったか。
そうした日々の行いを振り返り、もう一度よりよい方向へ戻ろうとする実践です。
パリユーシャンの最終日には、一年を振り返る特に重要なサンヴァツァリ・プラティクラマンが行われます。
そこから、互いに赦しを求めるサンヴァツァリの習慣へとつながっていきます。
🥣 断食や食事の節制をする
パリユーシャンと聞いて、断食を思い浮かべる人もいるかもしれません。
実際に、この期間には断食や食事を控える実践が広く行われています。
ただし、すべての人が8日間まったく食べないわけではありません。
長期間の断食を行う人もいれば、食事の回数を減らしたり、特定の食べ物を避けたりするなど、それぞれの体調や立場に合わせて節制する人もいます。
ここで大切なのは、単に空腹に耐えることではありません。
欲しいものをすぐに満たそうとする習慣から少し距離を取り、自分の欲や執着を見つめること。
食事を控えることも、そうした自己修養のひとつとして位置づけられています。
📖 教えを聞き、経典を学ぶ
パリユーシャンは、静かに自分だけと向き合う期間であると同時に、ジャイナ教の教えを改めて学ぶ時間でもあります。
寺院や集会では、僧侶や尼僧、宗教の教えに詳しい人による説法を聞いたり、経典の朗読や解説に耳を傾けたりします。
普段から知っている教えも、この期間にもう一度聞き直し、自分の暮らしに照らして考えてみる。
パリユーシャンでは、「知っている教え」を「どう生きるか」へ戻していくことが大切にされています。
そしてシュヴェーターンバラ派のパリユーシャンで、特に重要な経典として読まれるのが「カルパ・スートラ(Kalpa Sutra)」です。
そこには、ジャイナ教で重要な存在であるマハーヴィーラの生涯についても記されています。
次は、このカルパ・スートラと、パリユーシャンの中で語り直されるマハーヴィーラの物語を見ていきましょう📖
📖 カルパ・スートラとマハーヴィーラの物語
パリユーシャンは、自分の行いを振り返るだけでなく、ジャイナ教の教えをもう一度たどり直す時間でもあります。
シュヴェーターンバラ派のパリユーシャンで特に大切にされている経典のひとつが、「カルパ・スートラ(Kalpa Sutra)」です。
祭りの期間にはこの経典が朗読され、人々はその内容に耳を傾けながら、ジャイナ教で大切にされてきた教えや物語を改めて学びます。
🪷 マハーヴィーラの生涯をたどる
カルパ・スートラの前半では、ジャイナ教の重要な導師であるティールタンカラたちの生涯が語られます。
なかでも大きく扱われるのが、ジャイナ教で第24代ティールタンカラとされるマハーヴィーラです。
その誕生から、王族として過ごした時代、世俗の生活を離れて修行へ入ること、悟り、そして最終的な解脱へ至るまでの歩みが語られます。
パリユーシャンの中では、マハーヴィーラの誕生にまつわる場面も特に親しまれています。
母トリシャラーが見たとされる吉兆の夢や、マハーヴィーラの誕生をめぐる物語などが朗読され、その生涯をあらためて振り返ります。
ここで大切なのは、昔の聖人の物語をただ知識として覚えることではありません。
その人は何を捨て、何を大切にし、どのように生きたのか。
物語を聞きながら、自分自身の暮らしや行動へ重ねて考えることも、パリユーシャンの学びの一部です。
🌧️ 経典の中にも、雨季の暮らしがある
カルパ・スートラには、ティールタンカラたちの生涯だけが書かれているわけではありません。
ジャイナ教の初期の指導者たちについての記述や、雨季に僧侶たちが守るべき規則についてもまとめられています。
つまり、先ほど見た「雨季には移動を控え、ひとつの場所にとどまる」という暮らしも、パリユーシャンとは切り離せないものなのです。
経典を読み、過去の導師たちの歩みを知り、同時に今の自分の行いを振り返る。
そう考えると、パリユーシャンの学びは、遠い昔の物語を眺めるだけのものではありません。
昔から伝わる教えを、今の自分ならどう生きるのか。
その問いを何度も自分へ戻していく時間でもあります。
そして8日間の最後には、その振り返りが「誰かとの関係」へ向かいます。
次は、パリユーシャンの最終日にあたるサンヴァツァリと、互いに赦しを求める習慣について見ていきましょう🤝
🤝 サンヴァツァリとは?|一年を振り返り、赦しを求める日
8日間続くパリユーシャンの最後に迎えるのが、サンヴァツァリ(Samvatsari)です。
シュヴェーターンバラ派では、パリユーシャンの中でも特に大切にされる日で、一年を振り返るサンヴァツァリ・プラティクラマンが行われます。
ここで振り返るのは、大きな失敗だけではありません。
誰かに向けた言葉。心の中に抱いた怒り。何気なく取った行動。
自分では気づいていなかったことも含めて、この一年に誰かや何かを傷つけなかったかを見つめます。
そして、自分の過ちを認めるだけで終わらず、傷つけてしまった相手へ赦しを求めます。
🙏 「ミッチャーミ・ドゥッカダム」に込められた意味
サンヴァツァリの時期によく交わされる言葉が、「ミッチャーミ・ドゥッカダム(Micchami Dukkadam)」です。
これは、単なる季節の挨拶ではありません。
JAINAでは、その意味を「私があなたに対して行った悪い行いが無効になりますように」といった趣旨で説明しています。
より身近な言葉にすれば、
「もし私が、意図して、あるいは知らないうちにあなたを傷つけていたなら、どうか赦してください」
という思いを伝える言葉です。
相手が家族や友人だから赦しを求める、というだけではありません。
ジャイナ教では、人間だけでなく、あらゆる生命との関わりを振り返り、傷つけた可能性のあるすべての存在へ赦しを求める考え方があります。
🕊️ 「赦してください」と言うだけでは終わらない
サンヴァツァリの赦しは、ただ決まった言葉を唱えれば終わるものではありません。
まず自分の行いを振り返り、過ちを認め、同じことを繰り返さないように心を整える。
そのうえで相手に赦しを求め、自分もまた、誰かに対する怒りやわだかまりを手放そうとします。
JAINAが紹介する祈りの中には、「私はすべての生命を赦し、すべての生命が私を赦してくれますように」という趣旨の言葉もあります。
つまりサンヴァツァリでは、赦しを「もらうこと」と「与えること」の両方が大切にされているのです。
8日間、食事や欲を節制し、教えを学び、自分の言葉や行動を振り返ってきたパリユーシャン。
その最後にあるのが、自分だけで完結する反省ではなく、他者との関係を見つめ直す時間だというところに、この行事の大きな特徴があります。
「自分は正しかったか」ではなく、「自分は誰かを傷つけなかったか」と考える。
そして、必要なら自分から「赦してください」と伝える。
パリユーシャンで繰り返し意識されてきたアヒンサーが、最後には、人と人との関係にも向けられていきます。
ただし、ジャイナ教のすべての人が同じ8日間を同じ形で過ごすわけではありません。
次は、シュヴェーターンバラ派のパリユーシャンと、ディガンバラ派で重視されるダス・ラクシャナの違いを見ていきましょう⚖️
⚖️ シュヴェーターンバラ派とディガンバラ派では違う?
ここまで、パリユーシャンを「8日間の行事」として紹介してきました。
ただし、ジャイナ教のすべての人が、同じ日程や同じ形でこの時期を過ごすわけではありません。
ジャイナ教には大きく分けてシュヴェーターンバラ派とディガンバラ派があり、この時期に重視される行事にも違いがあります。
🕊️ シュヴェーターンバラ派は8日間のパリユーシャン
これまで紹介してきた8日間のパリユーシャンは、主にシュヴェーターンバラ派で行われるものです。
祈りや断食などの節制、プラティクラマン、経典の学びを重ね、最終日のサンヴァツァリには一年の行いを振り返って赦しを求めます。
カルパ・スートラの朗読や、マハーヴィーラの生涯をたどることも、この期間の大切な要素です。
🔟 ディガンバラ派では10日間の「ダス・ラクシャナ」
一方、ディガンバラ派では、この時期に「ダス・ラクシャナ(Das Lakshana)」と呼ばれる10日間の宗教行事が大切にされています。
「ダス」は10、「ラクシャナ」は特徴や徳を意味し、10日間を通して、魂が本来持つとされる10の徳に一つずつ意識を向けていきます。
- 赦し
- 謙虚さ
- 率直さ
- 清らかさ・欲から離れること
- 真実
- 自制
- 苦行・節制
- 手放すこと・施し
- 無所有
- 貞潔・禁欲
それぞれの徳について学び、自分自身の行動や心のあり方に照らして考えることが、ダス・ラクシャナの中心にあります。
シュヴェーターンバラ派のパリユーシャンが8日間なのに対し、ダス・ラクシャナは10日間。
また、重視される経典や儀礼、日程にも違いがあります。
🙏 違いはあっても、自分を見つめる時間
宗派によって名前や日数、具体的な実践は異なります。
そのため、「ジャイナ教ではみんな同じパリユーシャンを祝う」とまとめてしまうと、それぞれの伝統の違いが見えなくなってしまいます。
一方で、両方に共通して見えてくるものもあります。
普段の生活から少し距離を置き、教えを学び、欲や怒りを抑え、自分の行いを振り返ること。
外へ向かって何かを盛大に祝うのではなく、自分自身の生き方へ意識を戻していく。
8日間のパリユーシャンにも、10日間のダス・ラクシャナにも、そんなジャイナ教らしい自己修養の時間が流れています。
宗教や宗派の実践をそのまま自分の暮らしへ取り入れる必要はありません。
けれど、「立ち止まって自分の行いを見る」という考え方なら、信仰の違いを越えて感じ取れるものもありそうです。
次は、パリユーシャンという行事を、今の私たちの暮らしからどのように受け取れるのか考えてみましょう🏡
🏡 今の暮らしでパリユーシャンをどう受け取る?
パリユーシャンの断食やプラティクラマン、サンヴァツァリは、ジャイナ教の信仰の中で受け継がれてきた大切な実践です。
そのため、日本で暮らす私たちが宗教儀礼をそのまま真似する必要はありません。
けれど、パリユーシャンを知ることで、普段の暮らしを少し違う角度から眺めてみることはできます。
🌿 何かを足すのではなく、少し減らしてみる
お祭りというと、ごちそうを用意したり、飾りつけをしたり、特別なことを増やして楽しむイメージがあります。
パリユーシャンは、むしろ反対です。
食べることを控える。欲を抑える。移動を減らす。いつもの生活の速度を少しゆるめる。
そうして生まれた余白の中で、自分の心や行動を見つめていきます。
何か新しいものを手に入れることで整えるのではなく、少し手放すことで見えてくるものを大切にする。
そんなパリユーシャンのあり方は、物や情報に囲まれた今の暮らしを考えるきっかけにもなります。
🕊️ 「誰が悪かったか」より、自分の行いを振り返る
もうひとつ印象的なのが、サンヴァツァリの赦しです。
人とぶつかったとき、つい「自分は悪くない」「相手にも原因がある」と考えてしまうことがあります。
けれどパリユーシャンでは、まず自分の言葉や行動へ目を向けます。
強い言い方をしなかったか。相手の気持ちを軽く扱わなかったか。知らないうちに誰かを傷つけていなかったか。
そして必要なら、自分から赦しを求める。
それは、どちらが正しいかを決めることとは少し違います。
相手を変える前に、自分が誰かとどう関わってきたのかを見る。
サンヴァツァリの習慣には、そんな姿勢が表れています。
🙏 アヒンサーを、暮らしの中の小さな行動として見る
ジャイナ教のアヒンサーは、あらゆる生命をできる限り傷つけないという、とても深い宗教的な教えです。
その実践をそのまま自分の暮らしへ当てはめることはできなくても、そこから「自分の行動が周囲へどんな影響を与えているか」を考えることはできます。
人への言葉、ものの扱い方、食べること、買うこと、捨てること。
普段は何気なく繰り返している行動も、一度立ち止まって見ると、違った側面が見えてくるかもしれません。
パリユーシャンは、何か特別な答えを教えてくれるお祭りというより、自分の暮らしに問いを戻してくれる時間として見ることができます。
「最近、少し抱え込みすぎていないか」
「誰かに伝えておきたい言葉はないか」
「自分の行動で、変えられることはないか」
そんなことを考えるだけでも、遠いインドで受け継がれてきた静かな8日間が、少し身近に感じられます。
次は、パリユーシャンの静かな空気や、ジャイナ教で大切にされる考え方に思いを寄せながら、かいらりのアイテムを紹介します🛍️
🛍️ パリユーシャンに思いを寄せる、かいらりのアイテムたち
パリユーシャンは、華やかな飾りで祝うお祭りではなく、いつもの暮らしを少しゆるめ、自分の心や行いを見つめる時間です。
その宗教的な実践を雑貨に置き換えることはできませんが、記事でたどってきた静かな空気や雨季の自然、インドの暮らしを思わせるものから、かいらりのアイテムを3つのテーマで紹介します。
🤍 静かな時間を思わせる|白系アイテム
余白のある白や、やわらかな生成りに近い色は、空間をすっきりと見せてくれます。
今回のパリユーシャンの記事でたどってきたのも、何かをたくさん加えるより、少し立ち止まって自分自身へ意識を戻していく時間でした。
宗教的な意味を持たせるのではなく、そんな静かな空気を暮らしの中で楽しみたいときに、白を基調としたアイテムを選んでみるのもひとつです。
🌿 雨季の自然に目を向けて|ボタニカル柄
パリユーシャンの背景には、インドの雨季があります。
雨によって小さな生き物が増える季節に移動を控えるという習慣からも、ジャイナ教の人々が身の回りの生命へ向けてきたまなざしが見えてきました。
そんな雨季の自然に少し思いを寄せながら、植物を描いたボタニカル柄を暮らしに取り入れてみるのも楽しみ方のひとつ。
花や葉を描いたインドの布には、身近な自然をモチーフにしたさまざまな表情があります。
🪵 インドの暮らしに親しまれる素材|サンダルウッド
最後は、インドで古くから親しまれてきた香木、サンダルウッド。
ここでも、サンダルウッドをパリユーシャンそのものと結びつけるのではありません。
祭りをきっかけにインドの信仰や暮らしへ目を向けたあと、その土地で親しまれてきた素材にも触れてみる。
そんな文化への入り口として、かいらりではサンダルウッドを使ったアイテムをまとめています。
白い余白、雨季の植物、インドで親しまれてきた素材。
パリユーシャンの宗教的な意味をそのまま暮らしへ持ち込むのではなく、そこから見えてきた文化や風景をきっかけに、インドという土地を少し身近に感じてもらえたらと思います。
🪷 おわりに|誰かを赦す前に、自分の行いを見つめる時間
パリユーシャンは、街を華やかに飾ったり、大勢でにぎやかに祝ったりするお祭りとは少し違います。
雨季の中で歩みをゆるめ、祈り、学び、食事や欲を節制しながら、自分の心や行いを振り返っていく。
その8日間をたどっていくと、ジャイナ教で大切にされているアヒンサー(非暴力)が、単に「命を傷つけない」という言葉だけではなく、日々の振る舞いの中で考え続けられていることが見えてきます。
自分の言葉は誰かを傷つけなかったか。
欲や怒りに流されていなかったか。
知らないうちに傷つけてしまったものはなかったか。
そして最終日のサンヴァツァリには、振り返るだけで終わらず、必要なら相手へ赦しを求めます。
誰かを赦すことと、自分も赦しを求めること。
その前に、まず自分自身の行いへ目を向けるというところに、パリユーシャンの静かな強さがあるように感じます。
宗教的な実践をそのまま真似しなくても、少し立ち止まって、自分の言葉や暮らしを振り返ってみる。
そんな時間なら、私たちの日常の中にもつくることができそうです。
華やかなインドのお祭りの向こう側には、こうして静かに自分自身と向き合う時間もあります。
パリユーシャンを知ることが、インドにある多様な信仰や暮らしのあり方へ目を向ける、ひとつのきっかけになればうれしいです。


















コメント