インドの言葉と聞いて、まず「ヒンディー語」を思い浮かべる人は多いかもしれません。
映画や旅行番組で耳にする言葉、街の看板に並ぶデーヴァナーガリー文字。日本にいると、なんとなく「インドの国語はヒンディー語なのかな」と思ってしまいます。
そんなヒンディー語に目を向ける日が、毎年9月14日のヒンディー・ディワス(Hindi Diwas)です。
この日は、1949年9月14日にインドの制憲議会で、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語が連邦の公用語として採択されたことに由来します。
ここで大切なのが、「公用語」と「国語」は同じではないということ。
ヒンディー語はインドでとても重要な言語ですが、インド全体をひとつの言葉だけで表すことはできません。
州や地域が変われば、ベンガル語、タミル語、テルグ語、マラヤーラム語など、日常で使われる言葉も文字も大きく変わります。英語が行政や教育の場で使われることもあり、ひとつの国の中にいくつもの言語の世界が重なっています。
ヒンディー・ディワスは、ヒンディー語について知るだけでなく、「インドでは、いったい何語が話されているのだろう?」と考える入口にもなる日です。
この記事では、ヒンディー・ディワスがなぜ9月14日なのか、その歴史をたどりながら、ヒンディー語の位置づけや「インドに国語はあるの?」という疑問、そして多言語国家インドの言葉の風景を分かりやすく紹介していきます。
🗣️ ヒンディー・ディワスとは?
ヒンディー・ディワス(Hindi Diwas)は、インドで毎年9月14日に迎えられる、ヒンディー語にまつわる記念日です。
「ディワス(Diwas)」は「日」を意味する言葉なので、日本語では「ヒンディー語の日」と考えると分かりやすいでしょう。
インドには宗教や季節に結びついた数多くのお祭りがありますが、ヒンディー・ディワスはそうした宗教行事ではありません。
この日は、1949年9月14日にインドの制憲議会が、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語を連邦の公用語として採択したことを記念しています。
現在のインド憲法でも、ヒンディー語はデーヴァナーガリー文字を用いる連邦の公用語として位置づけられています。
ヒンディー・ディワスには、政府機関をはじめさまざまな場で、ヒンディー語の使用や普及に目を向ける取り組みが行われています。
ここだけを見ると、「やっぱりヒンディー語はインドの国語なんだ」と思ってしまいそうですが、実はそう単純ではありません。
ヒンディー語はインドにとって重要な言語ですが、「インド唯一の国語」と定められているわけではないからです。
むしろヒンディー・ディワスを入口にしてみると、地域ごとに異なる言葉が使われる、多言語国家インドの姿が見えてきます。
その前に、そもそもなぜ9月14日がヒンディー・ディワスになったのか。まずは独立直後のインドで行われた、言葉をめぐる議論をたどってみましょう。
9月のインドで行われるほかのお祭りや記念日については、こちらの記事でも紹介しています。
📜 なぜ9月14日?1949年の制憲議会とヒンディー語
ヒンディー・ディワスが9月14日に定められている理由は、インドが独立した直後の時代にさかのぼります。
1947年にイギリスから独立したインドでは、新しい国の憲法をつくるとともに、政府や行政の場でどの言語を使うのかという大きな課題にも向き合うことになりました。
インドは、ひとつの言語だけが話されている国ではありません。
地域によって異なる言葉が使われ、それぞれに文学や歴史、暮らしの中で育まれてきた文化があります。そのため、独立後の国全体で使う公用語をどうするかという問題は、単に「便利な言葉をひとつ選ぶ」というだけの話ではありませんでした。
そうした議論の中で、1949年9月14日、インドの制憲議会はデーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語を、連邦の公用語として採択しました。
この考え方は、その後インド憲法の第343条に盛り込まれています。
そこには、連邦の公用語をヒンディー語とし、その表記にはデーヴァナーガリー文字を用いることが定められています。
そして、この歴史的な決定が行われた9月14日を記念して、現在も毎年この日がヒンディー・ディワスとして迎えられています。
ただし、ここで決まったのは「インドの国語」ではなく、あくまで「連邦の公用語」です。
さらに憲法では、独立以前から行政で広く使われていた英語についても、すぐにすべてをヒンディー語へ置き換えるのではなく、引き続き公務で使用する仕組みが設けられました。
この「国語」と「公用語」の違いを知ると、ヒンディー・ディワスの意味も少し違って見えてきます。
では、よく耳にする「インドの国語はヒンディー語」という説明は、いったいどこまで正しいのでしょうか。
🇮🇳 ヒンディー語は「インドの国語」ではない
日本では、「インドの国語はヒンディー語」と紹介されることがあります。
たしかにヒンディー語は、インドで広く使われている重要な言語のひとつです。
けれども、インド憲法がヒンディー語を「国語(National Language)」として定めているわけではありません。
憲法第343条で定められているのは、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語を「連邦の公用語(Official Language of the Union)」とすることです。
つまり、「インドという国を代表する唯一の言語」として選ばれているのではなく、中央政府の行政などで使う言語として位置づけられている、ということです。
📝 「国語」と「公用語」は何が違う?
「国語」と「公用語」は似た言葉ですが、意味は少し違います。
一般に公用語とは、政府や行政などの公的な場で使用するために定められた言語を指します。
一方、「国語」という言葉には、その国を象徴する言語や、国民に共通する言語といった意味合いが含まれることがあります。
多くの言語が暮らしの中で使われているインドでは、ひとつの言葉だけを「全国民の言語」としてまとめることはできません。
そのため、ヒンディー語について話すときは、「インドの国語」ではなく「インド連邦の公用語」と表現するほうが正確です。
🔤 英語も今なお公的な場で使われている
さらにインドでは、ヒンディー語だけですべての中央政府の業務が行われているわけでもありません。
英語も、法律に基づいて現在まで中央政府の公務などで広く使われています。
独立以前から行政で使われてきた英語を急に廃止するのではなく、ヒンディー語とともに使用してきた背景には、インドの大きな言語的多様性があります。
たとえば、ヒンディー語が日常的に広く使われる地域もあれば、家庭でも学校でも地域の言葉が中心という場所もあります。
「インド人ならみんなヒンディー語を話す」と考えてしまうと、実際のインドの姿からはかなり離れてしまいます。
むしろインドを理解するうえで大切なのは、ひとつの国の中に、それぞれの土地で育った言葉の世界がいくつも並んでいると知ることです。
では、インドには実際にどれくらいの言語があるのでしょうか。
次は、憲法に名前が挙げられている22の言語を手がかりに、多言語国家インドの姿をもう少しのぞいてみましょう。
🧩 インドの言葉はヒンディー語だけではない
ヒンディー語から少し視野を広げると、インドがどれほど多くの言葉とともに暮らしている国なのかが見えてきます。
インド憲法の第8附則(Eighth Schedule)には、現在22の言語が掲載されています。
そこにはヒンディー語のほか、アッサム語、ベンガル語、ボド語、ドグリ語、グジャラート語、カンナダ語、カシミール語、コンカニ語、マイティリー語、マラヤーラム語、マニプリ語、マラーティー語、ネパール語、オディア語、パンジャーブ語、サンスクリット語、サンタリ語、シンド語、タミル語、テルグ語、ウルドゥー語が含まれています。
名前を並べるだけでも、「インドの言葉」とひとくくりにするのが難しいことが分かります。
🗺️ 地域が変われば、日常の言葉も変わる
インドでは、地域によって日常的に使われる言葉が大きく異なります。
たとえば、タミル・ナードゥ州ではタミル語、ケーララ州ではマラヤーラム語、カルナータカ州ではカンナダ語、マハーラーシュトラ州ではマラーティー語といったように、それぞれの土地で長く育まれてきた言語があります。
言葉が変われば、文字の形や響きも変わります。
北インドから南インドへ旅をすると、駅や道路の看板、新聞、商品のパッケージなどに並ぶ文字が変わり、まるで別の国へ来たように感じることもあります。
言語の違いは単なる「話し方の違い」ではなく、文学や音楽、映画、食文化、地域の歴史とも結びついています。
📚 「22言語」はインドにある言語のすべてではない
ここで気をつけたいのが、第8附則に22言語が載っているからといって、インドに存在する言語が22種類だけというわけではないことです。
第8附則は、インドで話されているすべての言語を一覧にしたものではありません。
また、この22言語すべてが「インド連邦の公用語」という意味でもありません。
連邦の公用語として憲法第343条に定められているのはヒンディー語であり、英語も法律に基づいて公務で使用されています。その一方で、州にはそれぞれの地域事情に応じた公用語があります。
つまりインドの言語事情は、「国全体で使われる言葉」「州の行政で使われる言葉」「その土地で人々が日常的に話す言葉」が重なり合っている、と考えると少し分かりやすくなります。
だからこそ、「インド人ならみんなヒンディー語を話す」とは限りません。
ひとつの国の中に、いくつもの言葉と文字、そしてそれぞれの文化が共存している。
ヒンディー・ディワスを知ることは、そんな多言語国家インドの入り口に立つことでもあります。
では、そのヒンディー語はどんな文字で書かれているのでしょうか。次は、街の看板などでも目にするデーヴァナーガリー文字を見てみましょう。
✍️ ヒンディー語とデーヴァナーガリー文字
ヒンディー語について知ると、もうひとつ気になってくるのが、独特な形をしたデーヴァナーガリー文字です。
たとえば、「ヒンディー語」はデーヴァナーガリー文字で「हिंदी」と書かれます。
文字の上にすっと横線が伸びた姿は、アルファベットや日本語とはずいぶん違って見えます。
🔤 ヒンディー語は「言語」、デーヴァナーガリーは「文字」
ここで整理しておきたいのが、ヒンディー語とデーヴァナーガリーは同じものではないということです。
ヒンディー語は人々が話したり書いたりする「言語」。デーヴァナーガリーは、そのヒンディー語を書き表すために使われる「文字」です。
日本語でいえば、「日本語」という言語を、ひらがな・カタカナ・漢字という文字で書いているのと少し似ています。
そしてデーヴァナーガリー文字は、ヒンディー語だけのために使われる文字でもありません。サンスクリット語やマラーティー語など、ほかの言語を書くためにも使われています。
〰️ 上を走る一本の線が印象的
デーヴァナーガリー文字は左から右へ書きます。
見た目で特に印象的なのが、多くの文字の上部にある横線です。単語になると文字の上の線がつながって見えることがあり、それがデーヴァナーガリーらしい独特の風景をつくっています。
また、アルファベットのように子音と母音をすべて別々の文字として並べる仕組みとも少し違います。
デーヴァナーガリーでは、基本となる子音に母音の要素が含まれ、必要に応じて母音を表す記号などを組み合わせながら音を表します。
仕組みを知ってから文字を眺めてみると、一見複雑に見えた形にも少しずつ規則があることが分かってきます。
🪧 旅先では「読めなくても見えてくる」
インドを旅していると、言葉は会話だけでなく、街の景色の中にも現れます。
北インドなどでは、駅や道路の案内、店の看板、新聞、商品のパッケージなど、さまざまな場所でデーヴァナーガリー文字を目にすることがあります。
最初はまったく読めなくても、「この文字、さっきも見たな」と気づいたり、知っている言葉をひとつ見つけたりすると、それまで模様のように見えていた文字が急に「言葉」に変わります。
たとえば、インドの挨拶として知られる「ナマステ」は、デーヴァナーガリー文字では「नमस्ते」と書きます。
知らない土地で知らない文字に出会うことも、旅のおもしろさのひとつ。
ヒンディー・ディワスをきっかけに文字の形を少し覚えてみると、インドの街や暮らしの風景にも、今までとは違ったものが見えてくるかもしれません。
🏛️ ヒンディー・ディワスには何をする?
ヒンディー・ディワスは、ディワリやホーリーのように街中で大きなお祭りが行われる日とは少し性格が違います。
中心になるのは、政府機関や行政組織などでヒンディー語の使用や学びに目を向ける取り組みです。
記念式典や会議が開かれるほか、ヒンディー語を公務の中で積極的に活用した組織や人々をたたえる表彰制度も設けられています。
インド内務省の公用語局では、ヒンディー語による公務の推進などを対象とした「ラージバーシャー・キールティ賞(Rajbhasha Kirti Puraskar)」などの制度が運用されています。
✏️ 作文やクイズも。ヒンディー・パクワーダという期間
9月14日の一日だけでなく、その前後に「ヒンディー・パクワーダ(Hindi Pakhwada)」と呼ばれる期間を設ける政府機関もあります。
「パクワーダ」はおよそ2週間を意味し、この期間にはヒンディー語の作文、クイズ、討論、翻訳、タイピングなど、さまざまな催しが行われます。
実施期間や内容は組織によって異なりますが、ヒンディー・ディワスをきっかけに、職員が実際にヒンディー語を使ったり、その表現に親しんだりする時間になっています。
たとえば2025年にも、インド政府の複数の機関で9月にヒンディー・パクワーダが行われ、作文や翻訳、クイズなどの競技と表彰が実施されました。
🌿 にぎやかな「お祭り」とは違う記念日
こうして見ると、ヒンディー・ディワスは、家族でごちそうを囲んだり、寺院へお参りしたりする宗教的なお祭りとはかなり違います。
どちらかといえば、「公的な場で使われるヒンディー語について、改めて考える日」と捉えると分かりやすいでしょう。
そして興味深いのは、ヒンディー語を大切にするこうした取り組みがある一方で、インドにはそれぞれの地域で受け継がれてきた多くの言語も存在していることです。
ひとつの言葉を大切にすることと、多くの言葉が共存していること。
その両方が同時に存在しているところに、インドの言語文化のおもしろさがあります。
🌏 ひとつの言葉では語れないインド
ここまで見てきたように、ヒンディー語はインドで大きな役割を持つ言語ですが、それだけでインドの言葉を語ることはできません。
北へ行けばヒンディー語を耳にする機会が多くなり、南へ行けばタミル語やマラヤーラム語、カンナダ語、テルグ語などが日常の風景に現れます。
駅の案内、道路標識、新聞、映画、店先の看板。土地が変わると、耳に入る音だけでなく、目に映る文字まで変わっていきます。
それでも人々の暮らしはきれいにひとつの言語だけで区切られているわけではありません。
地域の言葉を話しながら、必要に応じてヒンディー語や英語を使うなど、いくつもの言葉が同じ日常の中に重なっているのもインドらしい風景です。
🎧 言葉が違っても、どこか近いこともある
インドの言葉をたどっていると、「違い」だけではなく、言語どうしのつながりが見えてくることもあります。
たとえば、ヒンディー語とパキスタンの国語であるウルドゥー語は、書き言葉では使われる文字や語彙に違いがある一方、日常会話では共通する部分も多くあります。
国境や宗教、文字が違っていても、その奥には長い歴史の中で共有されてきた言葉の土台が残っています。
ヒンディー語とウルドゥー語を含め、インドとパキスタンの文化的なつながりについてはこちらの記事でも紹介しています。
🧭 言葉を知ると、旅の景色も少し変わる
旅先の言葉をすべて話せなくても、その土地では何語が使われているのかを知るだけで、見える景色は少し変わります。
「この文字はヒンディー語かな」「ここでは別の言葉が使われているんだな」と気づくことも、その土地の暮らしに近づく小さな入口です。
ヒンディー・ディワスは、もちろんヒンディー語に目を向ける日。
けれど、その先にある多くの言葉まで眺めてみると、インドはひとつの文化やひとつの言葉では括れない国なのだということが、よりはっきり見えてきます。
知らない言葉に出会うことは、その土地の暮らしを知ること。
9月14日を、そんな多彩なインドの言葉に耳を澄ませる日にしてみるのも面白いかもしれません。
🌿 まとめ|ヒンディー・ディワスから、多言語のインドをのぞいてみる
毎年9月14日のヒンディー・ディワスは、1949年にデーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語が、インド連邦の公用語として採択されたことを記念する日です。
けれど、ヒンディー語は「インド唯一の国語」ではありません。
インドには、ヒンディー語のほかにも地域ごとに多くの言語があり、憲法第8附則には22の言語が掲載されています。さらに、その22言語だけでインドのすべての言葉を表せるわけでもありません。
州が変われば、話される言葉も、目にする文字も変わる。英語やヒンディー語、地域の言葉が同じ暮らしの中で重なりながら使われることもあります。
そう考えると、ヒンディー・ディワスは単にひとつの言語を知る日ではなく、「インドは、ひとつの言葉では語れない国なんだ」と気づく入口なのかもしれません。
旅先の看板に並ぶ知らない文字や、映画から聞こえてくる言葉、商品のパッケージに書かれた文字。
意味が分からなくても、「ここではどんな言葉が暮らしているんだろう」と少し立ち止まってみると、その土地の文化が今までより近く感じられることがあります。
9月14日のヒンディー・ディワスをきっかけに、ヒンディー語だけでなく、その先に広がる多彩なインドの言葉の世界ものぞいてみてください。



コメント