最近、「アーユルヴェーダ」という言葉を目にすることが増えました。
なんとなく体に良さそう。
でも、難しそう。
ヨガやスパイス、ちょっとスピリチュアルなイメージもある。
実際、アーユルヴェーダは
一言で説明しにくい考え方です。
病気を治すための医療でも、
宗教や占いでもなく、
「これをやれば正解」という健康法でもありません。
アーユルヴェーダが見ているのは、
今の自分の状態に、ちゃんと気づくこと。
今日は元気。
今日はちょっと重たい。
今日は何もしたくない。
そんな日々の違いを、
「気のせい」で終わらせずに、
暮らしの中のサインとして受け取るための知恵が、アーユルヴェーダです。
この記事では、
「アーユルヴェーダって何?」という基本から、
アーユルヴェーダならではの考え方、
そして、これまでこのブログで書いてきた基礎編の記事を、
ひとつの全体像としてまとめてご紹介します。
はじめての方も、
途中から読んでいる方も、
今の自分の位置を確認するための地図として、
気楽に読んでもらえたら嬉しいです🌿
🪔 アーユルヴェーダって何?
アーユルヴェーダは、
医療でも、宗教でも、占いでもありません。
インドで生まれ、何千年ものあいだ受け継がれてきた、
「どう暮らすと、人は調子を崩しにくいか」を考えるための、
生活の知恵・考え方です。
特別な修行をする人や、
ストイックな健康オタクのためのものではありません。
むしろアーユルヴェーダが向いているのは、
毎日を普通に生きている人です。
眠い日がある。
重たい日がある。
なぜかイライラする日もある。
アーユルヴェーダは、そうした日々の違いを
「まあ、そんな日もある」で終わらせずに、
体や心のバランスが少しずれているサインとして見ます。
大切にしているのは、
何かを「治す」ことよりも、乱れに早く気づくこと。
大きく崩れる前に、
少し立ち止まって、
「今日は無理しないでおこうか」と調整する。
そんなふうに、
日常の中で、自分を観察し、整えていくための視点が、
アーユルヴェーダです。
特別な道具も、知識もいりません。
必要なのは、「今の自分はどうかな?」と気づくことだけ。
📖 よく出てくる アーユルヴェーダの言葉たち
アーユルヴェーダを少し深く見ていくと、西洋医学とも、占いやスピリチュアルとも違う、独特の前提があることに気づきます。
それは、「人を治すための理論」というより、暮らしの中で起きる変化を、どう読み取るかという視点。
体調、気分、食欲、集中力、疲れ方。
それらを「良い・悪い」で切り分けるのではなく、今、どこが少し偏っているのかを見るための考え方です。
本格的なアーユルヴェーダでは、
この“偏り”や“流れ”を理解するために、いくつかの専門的な言葉を使います。
ただし、それらは覚えるための用語ではありません。
天気予報の言葉を全部暗記しなくても、
「今日は雨が降りそうだな」と感じ取れるのと同じように、
自分の状態を言葉にするための補助線として使われてきたものです。
ここでは、アーユルヴェーダを形づくっている
基本的な考え方とキーワードを、ひとつずつ、
「そういう見方もあるんだな」くらいの距離感で紹介します。
気になるところだけ拾い読みしても大丈夫です。
詳しい話は、それぞれ別の記事でゆっくり書いています。
🧱 ドーシャとは何か
アーユルヴェーダでよく聞く「ドーシャ」という言葉は、
体質診断や性格タイプとして紹介されることも多い概念です。
実際、アーユルヴェーダの中でも、
人の傾向を理解するための「体質の目安」としてドーシャが使われる場面はあります。
ただし、それがドーシャのすべてではありません。
本来ドーシャとは、体と心の中で常に働いている「性質の流れ」のようなもの。
アーユルヴェーダでは、
人の体や心は、主に次の3つの性質の組み合わせによって動いていると考えます。
・ヴァータ:動き・軽さ・乾き・変化
・ピッタ:熱・変換・鋭さ・消化
・カパ:重さ・安定・潤い・蓄える力
この3つは固定されたラベルではなく、
季節や環境、食事、睡眠、ストレスなどによって日々揺れ動いています。
そのためアーユルヴェーダでは、
「どの体質か」を決めることよりも、
今、どの性質が少し出すぎているかに目を向けます。
この“今の偏り”を読み取るための考え方が、
次に紹介するヴィクリティという概念です。
🌱 プラクリティとは何か
プラクリティ(Prakriti)とは、
生まれ持った体質や傾向のことを指します。
アーユルヴェーダでは、
人はそれぞれ、ドーシャの組み合わせによって
体のつくりや反応のしやすさが異なると考えられています。
ただし、プラクリティは
「あなたは一生こうです」と決めつけるためのラベルではありません。
あくまで、
どんな方向に傾きやすいか
どんな乱れが起きやすいか
を知るための“土台”のようなものです。
実際の暮らしの中で大切にされるのは、
プラクリティそのものよりも、
今どういう状態にあるか(ヴィクリティ)を感じ取ること。
体質を知ることはヒントになりますが、
アーユルヴェーダは、
「今の自分をよく観察すること」を何より重視します。
🌿 ヴィクリティとは何か
ヴィクリティ(Vikriti)とは、アーユルヴェーダの中で
「今、この瞬間の状態」を表すために使われる言葉です。
生まれ持った体質や性格の傾向とは別に、
その人が今、どんなバランスで過ごしているかを見つめる視点だと考えると分かりやすいかもしれません。
たとえば、
最近よく眠れていない、
食事の時間が乱れている、
忙しさが続いている。
そうした日々の積み重ねによって、
体や心の中の性質は少しずつ傾いていきます。
アーユルヴェーダでは、
この一時的な偏りや揺れを「ヴィクリティ」と呼びます。
大切なのは、
ヴィクリティは固定されたものではないという考え方。
季節が変われば、
生活リズムが変われば、
心の状態が変われば、
ヴィクリティもまた自然に変化していきます。
だからこそアーユルヴェーダでは、
「あなたはこういう人です」と決めつけるのではなく、
今の自分に何が起きているかに気づくことを重視します。
不調を“治す”前に、
まずは乱れに気づく。
ヴィクリティという考え方は、
そのための、静かで実用的な視点です。
⚖️ グナとは何か

グナ(Guna)とは、
アーユルヴェーダで使われる「性質」を表す考え方です。
たとえば、
重い・軽い、
冷たい・温かい、
乾く・潤う、
といった感覚的な対比で、
体や心の状態を捉えます。
アーユルヴェーダでは、
「どのドーシャか」以前に、
今の状態がどんな性質に傾いているかを見ることを大切にします。
なんとなく重いなら、軽くする。
冷えているなら、温める。
乾いているなら、潤す。
難しい理論というより、
日常の感覚を言葉にしたものに近い考え方です。
グナを意識すると、
「何を足すか」よりも、
今の状態に対して、逆の性質をそっと選ぶ
という視点が生まれます。
🕰 ディナチャリヤとは何か
ディナチャリヤ(Dinacharya)とは、
アーユルヴェーダが考える「一日の過ごし方の指針」のこと。
サンスクリット語で、
・ディナ=日
・チャリヤ=行い・習慣
を意味します。
アーユルヴェーダでは、
体や心は時間帯ごとに影響を受けやすい性質が変わると考えます。
朝・昼・夜で、
重さを感じやすかったり、消化が強まったり、休息に向かったり。
ディナチャリヤは、
そうした時間の流れを前提に、一日を組み立てるという考え方です。
すべてを厳密に守る必要はなく、
「時間には性質がある」という視点を持つだけでも、
暮らしはずっと楽になります。
🔥 アグニとは何か
アグニ(Agni)とは、
アーユルヴェーダで考えられる「消化・変換の力」のこと。
食べ物を消化する力だけでなく、
感情、経験、情報を「自分のものとして処理する力」も含めて表します。
アグニが健やかに働いていると、
食後は重すぎず、頭も澄みやすく、
日々の出来事を溜め込みすぎません。
反対にアグニが弱ったり乱れたりすると、
だるさ・重さ・食後の不快感・気分の停滞として現れやすくなります。
アーユルヴェーダでは、
多くの不調はアグニの乱れから始まると考えられています。
🌫 アーマとは何か
アーマ(Ama)とは、
アーユルヴェーダで使われる言葉で、
うまく消化・処理されなかったものが残った状態を指します。
食べ物だけでなく、
感情や経験、情報なども含めて、
「消化しきれなかったもの」はアーマとして捉えられます。
アーマが溜まると、
体が重く感じたり、頭がぼんやりしたり、
理由のはっきりしない不調として現れやすくなります。
アーユルヴェーダでは、
何かが「悪い」から不調が起きるというより、
処理しきれずに滞っていることを問題にします。
そのため、対処として大切にされるのは、
足すことよりも、
一度、流れを整えること・軽くすること。
アグニ(消化の力)を助け、
無理に溜め込まない暮らしを意識することが、
アーマを増やさない基本とされています。
🤲 サートミヤとは何か
サートミヤとは、一言で言うと
「その人にとって、無理なくなじむもの」「相性のよさ」のこと。
それは単に
「健康に良い/悪い」
「体質に合う/合わない」
という二択で決められるものではありません。
たとえば、
一般的には体を冷やすと言われる食べ物でも、
ずっと食べ慣れてきた人にとっては、心地よく感じることがあります。
逆に、理論上は良いとされるケアでも、
続けることで違和感やストレスになるなら、それはサートミヤとは言えません。
アーユルヴェーダでは、
その人の育ってきた環境、気候、食習慣、生活リズムまで含めて、
「その人にとって自然かどうか」を重視します。
つまりサートミヤは、
「正解を当てにいく考え方」ではなく、
自分の感覚を信頼するための指標。
今の体調、今の季節、今の気分に照らして、
無理なく続けられるものを選ぶ。
それがサートミヤ的なアプローチです。
この考え方は、
ドーシャやヴィクリティと組み合わせることで、
「理論」と「体感」をつなぐ役割を果たします。
次に紹介するのは、
そのサートミヤを見極めるうえで欠かせない、
“慣れ”や“積み重ね”の考え方についてです。
🌍 アーユルヴェーダならではの考え方
アーユルヴェーダは、
「健康になるための方法」を並べたものというより、
体や暮らしをどう捉えるか、その前提そのものが少し独特です。
何を食べるか、どんな運動をするかといった具体的な話の前に、
時間・消化・巡り・触れることなどを、
体の一部として自然に組み込んで考えます。
そのため、
他の健康法やセルフケアと比べると、
「そこを見るんだ」「そこをそんなに大事にするんだ」
と感じるポイントがいくつかあります。
ここでは、
アーユルヴェーダをアーユルヴェーダたらしめている、
特徴的な考え方をいくつか紹介します。
用語を覚えるための章ではありません。
「こういう前提で体を見ているんだな」と、
全体像をつかむための読み物として、気楽に読んでみてください。
⏳ 時間を、体の一部として考える
アーユルヴェーダでは、
体を「個体」だけで完結したものとは考えません。
一日の流れ、季節の移り変わり、
年齢による変化など、
時間そのものも体の状態に影響する要素として扱います。
そのため、
朝と夜では体の働きが違い、
夏と冬では同じ行動でも受ける影響が変わる、
という前提で暮らしを見ていきます。
「何をするか」だけでなく、
「いつするか」が大切になるのが、
アーユルヴェーダの特徴です。
これは、
決まった正解の生活リズムを押しつけるものではありません。
むしろ、
今の時間帯や季節に合わせて、少し調整する
という感覚に近い考え方です。
💧 触れること・油分を大切にする
アーユルヴェーダでは、
体に触れることそのものが、
とても大切なケアのひとつとして扱われます。
特にオイルは、
美容のための特別なものではなく、
体を落ち着かせ、巡りを助けるための道具
として使われてきました。
乾燥は、
単に肌の問題ではなく、
落ち着きのなさや疲れやすさと結びついて考えられます。
そのため、
オイルで肌に触れることは、
体を「外側から整える」というより、
安心感を体に思い出させる行為
に近いものとされています。
アーユルヴェーダがオイルケアを重視するのは、
「何かを足すため」ではなく、
過剰な緊張や乾きを、そっと和らげるためなのです。
🕯️ 消化を「体全体の働き」として捉える
アーユルヴェーダでは、
消化は単に「食べたものを分解すること」ではありません。
体に入ってきたものを、きちんと使える形に変える力
その全体を指して「消化」と考えます。
食べ物だけでなく、
感じたこと、疲れ、刺激、感情までもが、
体の中で「消化」されていると捉えられます。
この消化の力を、
アーユルヴェーダでは「アグニ(火)」と呼びます。
アグニが弱ると、
食後の重さやだるさだけでなく、
頭がぼんやりする、やる気が出ないといった形でも
影響が現れると考えられています。
逆に、
消化の火が穏やかに働いているときは、
体も心も「使い切れている」感覚が生まれやすい。
アーユルヴェーダが消化を重視するのは、
不調の多くが、消化しきれなかったものの蓄積として現れる
と考えているからなのです。
⚖️ 「傾きを戻す」という発想
アーユルヴェーダでは、不調を
「悪いものが起きた」「何かが足りない」
と捉えるよりも、
少し傾いた状態として見ていきます。
体も心も、もともとは揺れながらバランスを取っていて、
寝不足が続いたり、食べすぎたり、忙しさが重なると、
その揺れが一方向に寄りすぎることがあります。
そこで大切になるのが、
元に戻す、ちょうどいいところに近づける
という考え方です。
ここでのポイントは、
完璧な状態を目指さないこと。
常に整っている人はいないし、
少し乱れるのは自然なこと。
だからアーユルヴェーダでは、
- 乱れをゼロにする
- ずっと同じ状態を保つ
よりも、
- 今、どちらに傾いているか
- ほんの少し戻すなら、何をするか
を大切にします。
温める、休む、軽くする、落ち着かせる。
その選択は「正解」ではなく、
方向の調整に近いものです。
この発想があるからこそ、アーユルヴェーダは
厳しいルールやストイックな実践よりも、
日常の小さな選択を重視してきました。
🧭 正解は一つじゃない、という前提
アーユルヴェーダには、「これをすれば誰でも健康になる」という万人共通の正解はありません。
同じ症状に見えても、その人の体質(プラクリティ)、今の状態(ヴィクリティ)、季節、年齢、生活リズム、置かれている環境によって、整え方は少しずつ変わると考えます。
たとえば、冷えを感じている人、疲れている人、消化が落ちている人。
一見似た不調でも、「温める」のか、「休ませる」のか、「巡らせる」のかは同じではありません。
アーユルヴェーダが大切にしているのは、正解を当てることよりも、今の傾きに気づくこと。
昨日うまくいった方法が、今日は合わないこともあります。
それは失敗ではなく、状態が変わったサインです。
だからアーユルヴェーダでは、「続けること」よりも、「感じ直すこと」「見直すこと」を重視します。
その日の自分に合うかどうかを、静かに確かめながら選び直す。
この姿勢そのものが、アーユルヴェーダらしい考え方です。
☕ がんばらなくていい、という前提
アーユルヴェーダを知っていくと、
「本格的にやろうとすると大変そう」「全部は無理かも」と感じる人も多いと思います。
でも、全部やらなくていいし、完璧にできなくても大丈夫です。
もともとアーユルヴェーダは、特別な人のための修行ではなく、
その人の暮らしの中で、少しずつ整えていくための考え方でした。
だから、知っているだけでも意味があります。
「今日はちょっと冷えているな」と気づいたり、
「今は無理しない方がいいかも」と選び直したり。
それだけで、日々の選択は少し変わっていきます。
かいらりでは、アーユルヴェーダを
暮らしの中で無理なく使えるヒントとして紹介してきました。
たとえば、
温かいお茶を選ぶこと。
肌に触れるものを少しだけ見直すこと。
香りや感触で、気分が変わるものを手に取ること。
お茶の記事や、石の話、石鹸や歯磨き粉の選び方も、
どれも「ちゃんと整えなきゃ」というためのものではなく、
今の自分を少し助けてあげるための選択肢として書いています。
アーユルヴェーダは、がんばるための知識ではなく、
がんばりすぎないための視点。
この先の記事も、必要なところだけ拾ってもらえたら嬉しいです。
🫶 はじめての人へ
アーユルヴェーダは、
自分をきちんと管理するための方法ではありません。
「こうあるべき」「毎日これをしなきゃいけない」
そんなルールを増やすためのものではなく、
今の自分の状態に気づくための地図のような考え方です。
体が重い日もあれば、気持ちが先走る日もある。
何もしたくない日や、なぜか甘いものが欲しい日もある。
アーユルヴェーダは、そうした揺らぎを
「ダメなこと」ではなく、自然な変化として捉えます。
だから、最初から全部を理解しなくて大丈夫です。
興味を持ったところから、気になるところだけ読んでみてください。
今日の体調、今の気分、最近の生活。
どこかひとつ「これ、わかるかも」と思える場所があれば、
それで十分、アーユルヴェーダは役に立っています。
この場所が、
調子がいい時にも、ちょっと疲れた時にも
ふと思い出して戻ってこられるような記事になっていたら嬉しいです。
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