アラブの人はなぜいい匂いがする?香りが身だしなみになる文化の話

イスラム文化

旅の帰り、空港の通路ですれ違った、アラブの装いをした男性。
ほんの一瞬だったのに、あとからふっと残る、深くてやわらかい香りがありました。

日本に戻ってからも、街ですれ違うヒジャブを身につけた女性から、
言葉にしづらい、けれど確かに「いい匂いだな」と感じる香りが漂ってくることがあります。

香水が強いわけでもない。
甘すぎるわけでも、派手な印象があるわけでもない。
それなのに、なぜか記憶に残る。

「どうして、アラブの人って、こんなにいい匂いがするんだろう?」

そんな素朴な疑問がきっかけで、香りについて調べてみることにしました。

すると見えてきたのは、香りを“おしゃれ”として楽しむ以前に、暮らしを整えるための感覚
それは香水のテクニックというより、生活の中に自然に組み込まれた身だしなみのようなものでした。


この記事では、「アラブの人はなぜいい匂いがするのか?」という疑問を入り口に、

香りがどんなふうに日常に使われてきたのか、旅の記憶とともに、やさしく辿ってみたいと思います。

🌍 「“アラブの人”だと思っていたけれど」

最初は、よく見かける説明の通りだと思っていました。
ウードやサンダルウッド、ローズやムスク。
香油を重ねて、お香を焚きしめて、香水を仕上げに使う。
なるほど、だからあんな香りになるのか、と。

でも、調べていくうちに、少しずつ違和感が出てきます。

私が「アラブの人」と呼んでいたその人たちは、実は国も民族もばらばらで、共通しているのはイスラム文化圏に属しているという点でした。

中東だけではありません。
北アフリカ、中央アジア、南アジアの一部。
言葉も顔立ちも服装も違うのに、香りに対する感覚がよく似ている地域が、広く存在しています。

つまり、「アラブの人はいい匂いがする」という私の認識は、かなり大雑把で、少し雑だったのです。

香りを大切にする文化は、「アラブ人だから」生まれたものではなく、イスラム圏という、もっと広い生活文化の中で育まれてきたものでした。

この時点で、香りはもう「おしゃれ」や「自己表現」の話ではなくなります。
それは、宗教以前に、人と人が近い距離で暮らす社会の中で育った、身だしなみの感覚だったのです。

ここから先は、「いい香りの作り方」を追いかける話ではありません。
なぜ香りが生活の中に組み込まれたのか。
なぜそれが、強調されることなく、当たり前の所作として続いてきたのか。

その背景を、もう少しだけ丁寧に見ていきます。

🧼 香りは「おしゃれ」よりも、身だしなみとして

よく見かける説明では、「アラブの人は香りにこだわりがある」「香りで自己表現をしている」と書かれがちです。
たしかに、それはまったくの間違いではありません。

実際、香りの選び方には好みもありますし、人によって使う香りが違うのも事実です。
ただ、日本で香水をつける感覚と、同じ言葉で語ってしまうと、どうしてもズレが生まれます。

イスラム文化圏において香りは、まず「おしゃれ」や「演出」よりも先に、身だしなみの一部として捉えられてきました。

目立つために香るのではありません。
自分を強く印象づけるためでもありません。

大切にされているのは、清潔であること、そして周囲に不快を与えないこと
香りは、その状態を保つための、ごく自然な手段のひとつでした。

日本で言えば、洗濯された服を着ること、汗の匂いが残らないように気を配ること、場に入る前に身なりを整えること。
それらと同じ延長線上に、香りがあります。

この感覚を知らずに見ると、香油を重ねたり、お香を焚きしめたりする行為は、とても凝った「香りのおしゃれ」に見えるかもしれません。
けれど実際には、「整った状態を保つための習慣」が、積み重なった結果なのです。

だから、香りは誇示されません。
強く主張することも、個性として前に出されることも少ない。

香っているのに、押しつけがましくない。
近づいたときに、ふっと気づく程度。

私たちが「いい匂いがする」と感じるその背景には、香りを目立たせないための感覚が、きちんと組み込まれています。

香りは自己表現でもあり得ます。

けれどそれ以前に、人と人が近い距離で暮らす社会の中で育った、身だしなみの技術だったのです。

🪔 香水だけじゃない、香りの整え方

アラブや中東を含むイスラム圏では、「いい香り=香水をつけること」ではありません。
香りは、もっと複数の手段を組み合わせて整えられてきました。

私たちが思い浮かべがちなスプレータイプの香水は、その中のひとつにすぎません。
実際には、香油・お香・香水を使い分け、重ねることで、香りの状態を整えていきます。

この方法は、アラブ文化圏や中東地域で広く見られ、男女の別なく日常に組み込まれてきました。
特別な日だけの作法ではなく、身支度の延長として自然に行われています。

まず使われることが多いのが、アッタール(香油)と呼ばれるオイル状の香りです。

アッタールはアルコールを含まず、肌の温度でゆっくりと香りが立ち上がります。
香りは遠くまで拡散せず、近づいた距離でだけ感じられるのが特徴です。

次に使われるのが、バフールと呼ばれるお香。
これは空間を香らせるためではなく、衣服や髪に煙を通し、香りを移すために焚かれます。

服そのものに香りを含ませることで、動いたときにだけ、ふっと香る。
強く主張せず、周囲に残り続けない香り方が生まれます。

その上で、必要に応じて香水を少量重ねることもあります。
ただし香水は主役ではなく、すでに整えられた状態を補うものとして使われます。

この「重ね付け」は、香りを強くするための工夫ではありません。
香りをどこに、どのくらい残すかを細かく調整するための方法です。

肌には香油、衣服には焚香、空気との境界に香水。
それぞれの役割を分けることで、香りは目立たず、けれど確かに存在するものになります。

アラブの人が「いつもいい匂いがする」と感じられるのは、香水をたくさん使っているからではありません。

香りを整える工程そのものが、暮らしの中に組み込まれているからなのです。

🕯️ 香りは、誰かを思い出すためのものでもある

アラブや中東を含むイスラム圏の香り文化を見ていると、香りは「印象づけるための道具」だけではないことが分かります。
それは、誰かや、どこかを思い出すためのものでもあります。

同じ香りを長く使い続ける人が多いのも、そのためです。
流行に合わせて香りを変えるというより、時間と一緒に積み重なっていくものとして香りを捉えています。

家族の家でいつも焚かれていた香り。
幼い頃に身近な人が身につけていた香油。
特別な説明がなくても、香りだけで思い出せる記憶があります。

それは自己演出のための「キャラクターづくり」とは少し違います。
香りは、自分を強く印象づけるためのものではなく、自分がどこから来たかを確かめるための手がかりとして残されていきます。

だからこそ、香りは頻繁に変えられません。
変えてしまうと、記憶との結びつきが途切れてしまうからです。

日本で「実家の匂い」「祖父母の家の匂い」と言うとき、それが特別な香水であることはあまりありません。
同じように、アラブの香り文化でも、香りは目立つためではなく、時間や人とのつながりを静かに保つために使われています。

いい香りがする、という印象の奥には、

長い時間をかけて積み重なった暮らしと記憶があります。

📖 もっと深く知りたくなったら

ここまで書いてきたように、アラブやイスラム圏での香りは、
おしゃれや自己表現という言葉だけでは説明しきれない位置にあります。

身だしなみとしての前提、
他者への配慮としての清潔さ、
時間や記憶と結びつく香りの使われ方。

この記事では、旅や暮らしの視点から、
「どうして、いい匂いがするように感じるのか」をやさしく辿ってきました。

もし、
・なぜ香りが義務ではなく定着したのか
・宗教と生活の中で香りがどう位置づけられているのか
・香油や焚香が、どんな思想の上に使われてきたのか

そういった構造そのものが気になったら、
香りを「文化」ではなく生活技術として掘り下げた記事を、別の場所にまとめています。

Mirʾāt al-Dukhān では、
香りを身にまとう理由や、清浄という考え方、
香油・焚香・香水がどう使い分けられてきたのかを、
もう一段深いところから整理しています。

旅の入り口としての「かいらり」から、
もっと静かで濃い場所へ進みたくなったときに、
そっと覗いてもらえたら嬉しいです。

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