月が少しずつ欠けていき、やがて光の見えない新月を迎えるころ。
インドでは、亡くなった家族や祖先へ祈りを捧げてきたピトリ・パクシャが、ひとつの大きな節目を迎えます。
その最後の日が、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤー(Sarva Pitru Amavasya)です。
2026年は10月10日。
この日は、特定の祖先だけではなく、広く祖先へ祈りを捧げる日として大切にされ、シュラッダやタルパナ、ピンダ・ダーンなどの供養が行われます。
また、マハーラヤー・アマーヴァスヤーとも呼ばれ、地域によっては祖先を想う季節から、女神を迎える祝祭の季節へ移っていく境目としても見えてきます。
華やかな飾りや大きな祝宴が主役になる日ではありません。
水や食べ物を供え、亡くなった人々へ心を向けながら、自分たちより前に生きた人とのつながりを静かに見つめる一日です。
では、なぜピトリ・パクシャの最後にあたる新月が、特別な日とされているのでしょうか。
この記事では、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーの意味や2026年の日付、祖先へ捧げる供養、そして「すべての祖先」へ祈るとされる理由まで、インドの暦と暮らしをたどりながら紹介していきます。
🌑 サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーってどんな日?
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤー(Sarva Pitru Amavasya)は、亡くなった家族や祖先へ祈りを捧げる期間「ピトリ・パクシャ」の最後に迎える新月の日です。
ピトリ・パクシャの間、人々は祖先を想い、水や食べ物を供えたり、シュラッダと呼ばれる供養を行ったりしながら過ごします。
その締めくくりとなるのが、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーです。
インドには、神々の誕生や勝利を祝う華やかな祭りが数多くあります。
けれどこの日は、にぎやかに祝うというよりも、自分たちより前に生きた人々へ静かに心を向ける時間として大切にされています。
家族の記憶をたどり、祖先への感謝を表し、祈りを捧げる。
そんな祖先供養の流れが、新月の日にひとつの区切りを迎えます。
また、この日は特定の祖先だけではなく、広く祖先へ祈りを捧げる日としても知られています。
そのため、亡くなった日のティティが分からない場合や、ピトリ・パクシャの期間中に供養できなかった祖先へ祈る日としても大切にされてきました。
ピトリ・パクシャという期間全体については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
では、このサルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、2026年にはいつ迎えられるのでしょうか。
次は、日付とインドの月の暦から見ていきます。
🗓️ サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーはいつ?2026年の日付は?
2026年のサルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、10月10日(土)です。
この日は、9月末から続いてきたピトリ・パクシャの締めくくりにあたります。
ただし、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、毎年10月10日に行われるわけではありません。
日付を決める基準になっているのは、西暦のカレンダーではなく、ヒンドゥー暦の月の満ち欠けです。
🌑 「アマーヴァスヤー」は新月のティティ
「アマーヴァスヤー(Amavasya)」は、ヒンドゥー暦で新月にあたるティティを指します。
ティティとは、太陽と月の位置関係をもとに区切られる、インドの伝統的な暦の日です。
そのため、西暦では同じ日付に固定されません。
ある年は9月、別の年は10月というように、毎年少しずつ日付が動きます。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、祖先へ祈るピトリ・パクシャの最後に訪れるアマーヴァスヤーです。
月が少しずつ欠けていく期間をたどり、その終わりに新月を迎える。
2026年は、その新月の節目が10月10日にあたります。
🍂 2026年は10月の祝祭シーズンへの境目にも
10月10日に祖先へ祈る期間が一区切りすると、インドの暦は次の季節へ進んでいきます。
2026年は翌日の10月11日から、女神へ祈るシャラド・ナヴラートリが始まります。
静かに祖先を想う時間から、女神を迎える祝祭の時間へ。
この切り替わりも、10月のインドのお祭りをたどると見えてくる興味深いところです。
2026年10月のお祭りや記念日をまとめて見たい方は、こちらの記事もあわせてどうぞ。
では、「サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤー」という長い名前には、どんな意味が込められているのでしょうか。
次は、言葉をひとつずつ分けながら見ていきます。
🪔 「サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤー」ってどういう意味?
「サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤー」という名前は、初めて見ると少し長く感じます。
けれど、言葉をひとつずつ分けてみると、この日がどんな意味を持つのかが見えてきます。
🤲 「サルヴァ」は、すべて
「サルヴァ(Sarva)」は、「すべて」「すべての」という意味を持つ言葉です。
ここでは、特定のひとりだけではなく、広く祖先へ祈りを捧げるという、この日の特徴につながっています。
ピトリ・パクシャでは、亡くなった日のティティに合わせて祖先を供養する日があります。
その一方で、命日のティティが分からなかったり、期間中に供養する機会を持てなかったりすることもあります。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、そうした祖先も含めて広く祈りを捧げる日とされています。
👪 「ピトリ」は、祖先
「ピトリ(Pitru)」は、祖先や先祖を表す言葉です。
亡くなった親や祖父母だけではなく、そのさらに前へ続いていく家族のつながりへも目を向ける言葉として使われます。
ピトリ・パクシャの「ピトリ」も同じで、この期間そのものが祖先へ祈りを捧げる時間であることを表しています。
🌑 「アマーヴァスヤー」は、新月
「アマーヴァスヤー(Amavasya)」は、ヒンドゥー暦で新月にあたるティティです。
月が少しずつ欠けていき、その光が見えなくなる新月。
ピトリ・パクシャは、このアマーヴァスヤーを迎えることで締めくくられます。
つまり、三つの言葉を合わせると、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、「すべての祖先へ祈りを捧げる新月の日」という意味が見えてきます。
長い名前の中に、この日がピトリ・パクシャの最後に置かれている理由が、そのまま表れているのです。
では実際に、この日にはどのような形で祖先へ祈りを捧げるのでしょうか。
次は、タルパナやピンダ・ダーン、シュラッダなど、この日に行われる供養を見ていきます。
🙏 この日、人々は何をするの?
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーには、祖先へ祈りや供え物を捧げながら、ピトリ・パクシャを締めくくります。
その中でよく登場するのが、シュラッダ、タルパナ、ピンダ・ダーンと呼ばれる祖先供養です。
ただし、これらは全国どこでも同じ順番・同じ方法で行われるものではありません。
家庭や地域、受け継がれてきた慣習によって、祈りの形には違いがあります。
💧 タルパナ|水を祖先へ捧げる
タルパナ(Tarpana)は、水を祖先へ捧げる供養です。
水を注ぎながら祖先へ祈りを向け、その存在を想います。
水という、とても身近なものを通して祈りを表すところも、ピトリ・パクシャの儀礼を見ていて印象的なところです。
祖先供養で特に知られるビハール州ガヤーでも、ファルグ川などでタルパナが行われています。
🍚 ピンダ・ダーン|食べ物を祖先へ供える
ピンダ・ダーン(Pind Daan)は、祖先のために食べ物を供える儀礼です。
米などを用いて作る供物「ピンダ」を捧げ、亡くなった人々へ祈りを届けます。
ガヤーは、このピンダ・ダーンを行う場所として特に知られ、ピトリ・パクシャの時期には祖先供養のために各地から人々が訪れます。
食べ物をただ置くというより、祖先とのつながりを供物という形で表す儀礼として受け継がれています。
🪔 シュラッダ|祖先へ敬意を表す供養
シュラッダ(Shraddha)は、亡くなった家族や祖先へ敬意を表すために行われる供養です。
ピトリ・パクシャでは、亡くなった日のティティに合わせてシュラッダを行うという考え方があります。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーはその最後の日にあたり、特定の祖先だけではなく、広く祖先へ祈る機会にもなっています。
なお、シュラッダ、タルパナ、ピンダ・ダーンは、三つのまったく別々な行事としてきれいに切り分けられるものではありません。
実際の祖先供養では、祈りや水、供物などが組み合わされながら行われます。
🤲 食事や施しを通して祖先を想う
祖先供養には、祈りや供え物だけでなく、人へ与えることが結びつく場合もあります。
ガヤーで行われるピンダ・ダーンなどでは、儀礼の中に「ダーン」と呼ばれる施しや、祭司へ渡すダクシナーが含まれることもあります。
こうした形も含めて、祖先を想う気持ちを祈りだけで終わらせず、具体的な行為として表していきます。
ただし、どの家庭でもすべての儀礼を同じように行うわけではありません。
大切なのは、形式をひとつに決めつけることではなく、水や食べ物、祈りなどを通して祖先へ心を向ける文化があると見ることです。
では、なぜこの最後の日だけは「サルヴァ=すべて」と呼ばれ、広く祖先へ祈る日とされているのでしょうか。
次は、この日のいちばん大きな特徴でもある「すべての祖先」という考え方を見ていきます。
👪 なぜ「すべての祖先」へ祈る日なの?
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーの大きな特徴は、その名前にある「サルヴァ=すべて」という言葉です。
では、なぜピトリ・パクシャの最後の日には、広く祖先へ祈りを捧げるのでしょうか。
🌙 ピトリ・パクシャでは、亡くなった日の「ティティ」を見る
ピトリ・パクシャの祖先供養では、西暦の命日だけを見るのではなく、亡くなった日に対応する月の暦「ティティ」が大切にされます。
たとえば、祖先が月の暦のある特定のティティに亡くなった場合、そのティティに対応する日にシュラッダを行う、という考え方があります。
そのため、ピトリ・パクシャの期間には日ごとに異なるティティが巡り、それぞれの祖先を供養する時間が続いていきます。
ひとつの期間の中で、祖先ごとの命日をたどりながら祈りを捧げていくのです。
🤍 命日のティティが分からない祖先へも祈る
けれど、すべての祖先について亡くなった日のティティが分かっているとは限りません。
何世代も前の祖先であれば、詳しい日付が伝わっていないこともあります。
また、何らかの事情で期間中の対応する日に供養を行えない場合もあります。
そこで大切な節目となるのが、ピトリ・パクシャ最後のサルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーです。
この日は、個々のティティが分からない場合などにも、祖先へ広く祈りを捧げる機会とされています。
🌑 最後の日だからこそ、祈りを広く届ける
ピトリ・パクシャは、特定のひとりだけを思い出すための期間ではありません。
親や祖父母、そのさらに前へと続く人々へ目を向け、自分たちが今ここにいるまでのつながりをたどる時間でもあります。
そして最後の新月には、個々の命日の違いを越えて、広く祖先へ祈りを向ける。
それぞれの祖先をたどってきた供養の時間を、最後に大きく包み込むような一日。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、そんな役割を持つピトリ・パクシャの締めくくりとして見ることができます。
では、なぜこの締めくくりが「新月」に置かれているのでしょうか。
次は、月が欠けていくピトリ・パクシャと、最後に迎えるアマーヴァスヤーの関係を見ていきます。
🌘 ピトリ・パクシャの最後に新月を迎える意味
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーを理解するうえで、もうひとつ大切なのが月の満ち欠けです。
ピトリ・パクシャは、月が少しずつ欠けていく期間と重なり、その最後にアマーヴァスヤー、つまり新月を迎えます。
西暦の日付だけを見ていると分かりにくいのですが、月の姿をたどってみると、祖先へ祈る時間がひとつの流れとして見えてきます。
🌗 月のひと月は、二つの「パクシャ」に分かれる
ヒンドゥー暦では、月の満ち欠けに合わせてひと月を大きく二つの期間に分けて考えます。
月が満ちていく期間がシュクラ・パクシャ、月が欠けていく期間がクリシュナ・パクシャです。
ピトリ・パクシャは、このうち月が欠けていくクリシュナ・パクシャにあたります。
日が進むにつれて月の光は少なくなり、最後には新月へ。
その暦の流れの中で、祖先へのシュラッダやタルパナなどが続いていきます。
🌘 祖先を想う時間が、新月へ向かって続いていく
ピトリ・パクシャでは、期間中のそれぞれのティティに合わせて祖先への供養が行われます。
つまり、ある一日だけに祖先を想うのではなく、月が欠けていく時間とともに、日を重ねながら祈りを続けていく期間です。
そして最後に訪れるのが、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤー。
それまで個々のティティに合わせて続いてきた祖先供養が、この新月の日に大きな締めくくりを迎えます。
🌑 新月は、ピトリ・パクシャの「終わりの印」
ここで注意したいのは、「新月だから祖先供養をする」と単純に考えるのではなく、ピトリ・パクシャという祖先供養の期間が、新月まで続くという暦の流れです。
満月のころから始まった祖先を想う時間は、月が少しずつ欠けながら進み、光の見えないアマーヴァスヤーで一区切りとなります。
2026年は、その締めくくりが10月10日。
そして翌日からは、女神を迎えるシャラド・ナヴラートリが始まります。
祖先へ心を向ける静かな時間が終わり、暦は次の祝祭へ進んでいく。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、祖先供養の最後の日であると同時に、インドの暦が次の季節へ移っていく境目でもあるのです。
この日は「マハーラヤー・アマーヴァスヤー」と呼ばれることもあります。
次は、マハーラヤーという呼び名と、祖先の季節から女神を迎える季節へ移っていく流れを見ていきます。
🌺 「マハーラヤー・アマーヴァスヤー」とも呼ばれるの?
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、マハーラヤー・アマーヴァスヤー(Mahalaya Amavasya)と呼ばれることもあります。
どちらも、ピトリ・パクシャの最後に訪れる新月と、祖先へ祈りを捧げる大切な節目に結びついた呼び名です。
ただし、「マハーラヤー」という言葉を見たときに思い浮かべる景色は、地域によって少し違います。
🪔 マハーラヤーは、ピトリ・パクシャの締めくくり
まず、この日は祖先へ祈るピトリ・パクシャが終わる節目です。
これまで見てきたように、期間中にはそれぞれのティティに合わせて祖先供養が続き、最後の新月には広く祖先へ祈りを捧げます。
そのためマハーラヤー・アマーヴァスヤーも、祖先を想う時間を締めくくる日として見ることができます。
🌸 西ベンガルでは、女神を迎える季節への境目にも
特に西ベンガルでは、マハーラヤーはもうひとつの大きな季節の変わり目として親しまれています。
祖先へ祈るピトリ・パクシャが終わり、女神へ心を向けるデーヴィー・パクシャへと移っていく境目です。
その先には、西ベンガルを代表する大きな祝祭ドゥルガー・プージャーが待っています。
祖先を静かに想っていた時間から、女神ドゥルガーを迎える季節へ。
同じ暦の中で、祈りの向かう先と街の空気が少しずつ変わっていく。
マハーラヤーは、そんな移り変わりを感じさせる日でもあります。
🗓️ 2026年は、10月10日から翌11日のナヴラートリへ
2026年は、10月10日にサルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーを迎えます。
そして翌日の10月11日からは、女神のさまざまな姿へ祈るシャラド・ナヴラートリが始まります。
西暦のカレンダーだけを見ると、二つの別々な行事が続いているように見えるかもしれません。
けれどインドの月の暦をたどると、祖先へ祈る時間が終わり、その次に女神を迎える季節が始まっていくという流れが見えてきます。
🌿 インド全土で同じ意味を持つわけではない
ただし、マハーラヤーと女神ドゥルガーを迎える季節との結びつきは、特に西ベンガルで強く感じられるものです。
インドは地域によって祭りの大きさや呼び方、暦の受け止め方が大きく異なります。
そのため、「サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーを迎えると、インド中で同じようにドゥルガーを迎え始める」わけではありません。
祖先供養の締めくくりとして大切にする地域もあれば、西ベンガルのように、その先に続く女神の祝祭が強く意識される地域もあります。
ひとつの日を見ても、その向こうに地域ごとの文化が広がっているところが、インドの暦のおもしろさです。
では、実際のサルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーも、インド中で同じように過ごされているのでしょうか。
次は、家庭での供養やガヤーへの巡礼など、地域によって異なる祖先供養の姿を見ていきます。
🗺️ 同じ日でも、インド中で同じように過ごすの?
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、祖先へ祈る大切な日として知られています。
けれど、広いインドのどこでも、すべての家庭が同じ場所で、同じ方法の供養を行うわけではありません。
家庭で祈る人もいれば、祖先供養で知られる土地を訪れる人もいる。
地域や家族に受け継がれてきた慣習によって、その過ごし方にはさまざまな形があります。
🏡 家庭で祖先へ祈りを捧げる
祖先供養は、必ずしも遠くの聖地へ出かけなければできないものではありません。
家庭の中で祖先を想い、水や食べ物を供えたり、祈りを捧げたりしながら過ごすこともあります。
亡くなった家族を思い出し、その人とのつながりへ心を向ける。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーの静かな時間は、こうした身近な暮らしの中にもあります。
🙏 祖先供養で知られるガヤーを訪れる人々も
一方、祖先供養のために巡礼地を訪れる人々もいます。
その代表的な場所のひとつが、ビハール州のガヤー(Gaya)です。
ガヤーは古くから祖先供養と深く結びついた土地として知られ、ピトリ・パクシャの時期には各地から人々が訪れます。
ここでは、ピンダ・ダーンやタルパナなどを通して祖先へ祈りを捧げます。
家庭で静かに祖先を想う時間と、巡礼地まで足を運んで行う供養。
形は違っていても、どちらにも自分たちより前に生きた人々へ心を向けるという共通した姿を見ることができます。
🌿 地域や家族によって、祈りの形はさまざま
インドの行事について知るときに気をつけたいのが、「インドではみんなこうする」とひとつの形にまとめないことです。
祖先供養も、地域や家族に受け継がれてきた慣習によって、供えるものや儀礼の進め方などに違いがあります。
すべての人がガヤーへ巡礼するわけでも、すべての家庭が同じ儀礼を行うわけでもありません。
ひとつの「正しい過ごし方」が全国一律にあるのではなく、それぞれの暮らしの中で祖先とのつながりが受け継がれている。
そう考えると、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは大きな宗教行事であると同時に、家族の記憶と暮らしに根づいた一日でもあることが見えてきます。
では、日本で暮らす私たちは、このインドの祖先供養をどのように受け止めればよいのでしょうか。
次は、儀礼をそのまままねるのではなく、自分たちの暮らしからこの日を見つめてみます。
🏡 日本の暮らしから、この日をどう見つめる?
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーについて知ると、日本のお盆やお彼岸を思い浮かべる人もいるかもしれません。
どちらにも亡くなった家族や祖先へ心を向ける姿は見られますが、宗教的な背景や暦、行われる儀礼はそれぞれ異なります。
そのため、「インド版のお盆」とそのまま置き換えて考えるよりも、インドにはインドの祖先との向き合い方がある、と知るところから始めるのがよさそうです。
そして日本で暮らす私たちが、シュラッダやピンダ・ダーンをそのまま再現する必要もありません。
この日をきっかけに、少しだけ自分の家族や、その前の世代へ目を向けてみる。
それだけでも、遠いインドの祖先供養を自分の暮らしから考える入口になります。
📷 家族の写真や記憶を振り返る
昔の家族写真を見たり、亡くなった家族との出来事を思い出したりする。
特別な儀式をしなくても、記憶をたどる時間を持つことはできます。
自分では会ったことのない祖父母や曾祖父母について、家族から話を聞いてみるのもひとつです。
名前だけ知っていた人が、どんな暮らしをしていたのか。
そんな話を聞くことで、自分につながる家族の歴史が少しずつ見えてくることもあります。
🍚 亡くなった人が好きだったものを思い出す
ピトリ・パクシャでは、食べ物を祖先へ供える文化があります。
日本で同じ供養をするという意味ではなくても、亡くなった人が好きだった料理やお菓子を思い出すと、その人との時間がふっとよみがえることがあります。
「そういえば、これが好きだったな」と思い出すことも、家族の記憶を残していく小さなきっかけになります。
🌿 自分より前の世代から受け取ったものを考える
祖先から受け取るものは、形のあるものだけではありません。
家でよく作る料理、何気なく使っている言葉、季節の習慣、ものの選び方。
普段は意識していなくても、自分の暮らしの中には前の世代から続いてきたものが残っていることがあります。
「自分の暮らしの中に、家族から受け取ったものは何だろう」と考えてみる。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーの「すべての祖先へ祈る」という考え方は、そんな長いつながりへ目を向けるきっかけにもなります。
🪔 儀礼をまねるのではなく、文化を知る入口にする
異なる文化の行事を知ったとき、必ず同じことを実践しなければならないわけではありません。
どうしてこの日に祈るのか。
なぜ水や食べ物を捧げるのか。
なぜ最後の新月に「すべての祖先」へ心を向けるのか。
そうした背景を知ることで、インドの家族観や暦、暮らしの中にある祈りが少しずつ見えてきます。
そして違う文化を知ることは、ときどき自分たちの暮らしをあらためて眺めることにもつながります。
遠い土地の習慣をそのまま取り入れるのではなく、その背景にある考え方を知り、自分の日常を少し振り返ってみる。
それもまた、インドの文化と出会うひとつの楽しみ方ではないでしょうか。
次は、そんな静かな時間に寄り添う、かいらりのアイテムを商品群から紹介します。
🛍️ 祖先を静かに想う時間に寄り添う、かいらりのアイテムたち
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、何かを買って祝うための日ではありません。
また、ここで紹介する商品も、祖先供養の儀礼に使うためのものとして紹介するわけではありません。
けれど、祖先へ静かに心を向けるインドの一日を知ったあとで、色や香り、布といった暮らしのものへ目を向けてみると、文化との距離が少し近く感じられることがあります。
日々の暮らしの中で、インドの素材やものづくりに触れてみる。
そんな視点から、かいらりの商品群をいくつか紹介します。
🤍 静かな色合いを暮らしに|白系アイテム
まずは、白や生成りに近い、やわらかな色合いのアイテムから。
鮮やかな色彩もインドの魅力ですが、落ち着いた色の中に模様や素材の表情が見えるものにも、また違った楽しさがあります。
華やかさを前面に出すのではなく、色を抑えたぶん、形や手仕事の表情をゆっくり眺めてみたいときに。
🌿 インドの香りにふれる|サンダルウッド
目で楽しむものとは少し違うところからインドに触れたいなら、香りに目を向けてみるのもひとつです。
サンダルウッドは、日本では「白檀」の名前でも知られる香木。
インドの暮らしや香りの文化をたどると、さまざまな場所でその名前に出会います。
今回の記事で紹介した祖先供養と、かいらりのサンダルウッド商品を直接結びつけるものではありませんが、香りという感覚からインドの暮らしへ触れてみるのもおもしろい入口です。
🧵 素朴な布の表情を楽しむ|生成り
最後は、生成りの布。
染め上げられた鮮やかな布とはまた違い、生成りにはもとの地色を感じさせる素朴な表情があります。
そこにインドのブロックプリントが重なると、模様だけではなく、布そのものの質感にも自然と目が向きます。
手に取るものが、どんな素材からできているのか。
そんな身近なところから、インドのものづくりを眺めてみるのも、文化を知るひとつの楽しみ方です。
インドの文化を知る入口は、祭りや宗教だけではありません。
色、香り、布、そして日々使われているもの。
そうした暮らしの断片を眺めながら、その向こうにある土地や人々へ少し想像を広げてみる。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーという静かな一日も、そんなふうにインドの暮らしを知る入口のひとつになります。
最後に、祖先を想うピトリ・パクシャの終わりと、その先へ続いていくインドの暦を振り返ってみましょう。
🪷 おわりに|祖先を想う時間から、次の季節へ
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、祖先へ祈りを捧げるピトリ・パクシャを締めくくる新月の日です。
2026年は10月10日。
期間中、それぞれのティティに合わせて続いてきた祖先供養は、この日にひとつの大きな節目を迎えます。
名前にある「サルヴァ」が表すように、この日は特定のひとりだけではなく、広く祖先へ心を向ける日として大切にされています。
水を捧げるタルパナ。
食べ物を供えるピンダ・ダーン。
そして祖先へ敬意を表すシュラッダ。
その形は地域や家族によって異なりますが、その向こうには、自分たちより前に生きた人々とのつながりを忘れずにいようとする時間があります。
日本で暮らす私たちが、同じ儀礼を行う必要はありません。
けれど、昔の家族写真を見たり、亡くなった人が好きだったものを思い出したり、自分の暮らしの中に残っている家族の習慣へ目を向けたりすることはできます。
自分が今ここにいるまでに、どんな人たちの時間がつながってきたのだろう。
そんなことを少し考えてみるだけでも、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーという遠いインドの一日が、ほんの少し身近に感じられるかもしれません。
そして新月を迎えると、ピトリ・パクシャは終わります。
祖先へ祈る静かな時間から、今度は女神を迎える祝祭の季節へ。
2026年は翌10月11日からシャラド・ナヴラートリが始まり、インドの暦はまた違った表情を見せていきます。
ひとつの祈りの時間が終わり、その先にまた新しい季節が始まる。
サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーは、そんなインドの暦の移り変わりを感じられる一日でもあります。
ピトリ・パクシャという祖先供養の期間全体について詳しく知りたい方は、こちらの記事もあわせてどうぞ。
また、サルヴァ・ピトリ・アマーヴァスヤーのあとに続くナヴラートリやドゥルガー・プージャーなど、10月のインドのお祭りをまとめて見たい方はこちらへ。















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